大榮寺

大榮寺の歴史

大榮寺創立 本年開山470年[天文16年(1547年) 室町・安土桃山時代]

当寺は、山号を清水山(せいすいざん)院号を彼岸院(ひがんいん)といいます。

小字(こあざ)の「清水」が物語るように、その昔、湧水地があり、生活用水はもとより灌漑用水としても地域の人々にに潤いと恵みを与えてきました。

寺の裏山から湧き出でる清らかな泉は、あたかも般若(最高の智慧)の水に似て、この泉の水で口をそそぎ、身を清めて、彼岸(悟りの世界)に到達することを願い名付けられたものでありましょう。

わき水跡
当寺は、元は法道寺と呼ばれ栄えていたが、いつの頃か「大永寺」と改められ、その後、「永」の字が「榮」に書き換えられて今日に至っています。

本尊には、阿弥陀如来が祀られ、時の僧「智存」により天文16年、3月3日の創立と伝えられています。

今から、252年前(1762年)寶歴12年には、不審火により全焼し、多くの古記を灰燼に帰し、その詳細を知ることができません。

清水の由来
ただここで、明確な事項としては、明和8年(1771年)に「覚栄」僧都によって仮本堂なるものが建てられ、山の復興に粉骨砕身したことが新編武蔵風土記稿に記されています。

寛政2年(1790年)2月24日、焼失してから28年後、時の住職「秀栄」和尚により、茅葺き本堂と庫裡が建立され、法燈を消すことなく、仏法の興隆に尽くしました。

そして、文政12年(1829年)2月、時の住職「傳應」により須弥壇(しゅみだん)を建立、寶前を荘厳し祖風の宣揚に努めました。

本尊様
慶応年間(1865~)、「良詮」和尚(第60世とされる)の時には、近村稀にみる精舎として、和歌および詩を蜀山人に学ぶなど、子弟の教育に情熱を傾け、日と共に栄え、多くの識者を輩出しました。

明治10年(1877年)良詮を偲び、その徳に報いんと、門徒たちの手により境内に碑が建立された。この事は、師の学識と人徳の高かったことがうかがえます。

昭和12年(1937年)第二次世界大戦の暗雲漂う中、永年の風雪に耐えてきた茅葺き屋根も傷みがひどく、不況の風吹く中、瓦葺きとして山容を一新しました。

良詮和尚
しかし、建立以来、数百年の歴史に耐えた土台や骨組みは、もはや修復の限界に至り、昭和63年9月に大榮寺第14世「憲識」和尚、第15世「巧人」和尚の代に本堂新築を計り、菩提寺の再建をと檀徒一丸となり、寺門興隆と法燈の継承のために本堂を新築、折しも、興教大師ご誕生900年の千載一遇の機会に落慶を迎えました。

更に「巧人」和尚の代には、これからも、御大師さまに見守られ、開かれた身近な寺として、またあるときは教養の場としての思いから、書院の建設、薬師堂の建設、鐘楼堂の建設等、境内整備に心血を注ぎました。

本堂の石
ここに、改めて、御本尊の御加護のもと、先師やご先祖様に感謝し見守られ、檀徒と共に、当寺の弥栄が永久にあらんことを。
お寺の様子

合掌